言わなくてもいいようなことを、あえて言ったのは
有言実行、にしたかったから。
不言実行がかっこいいんだろうけど、怠けないように。
何をするにもお金が必要だなと思う。
好きなことをするにも、美味しいごはんを食べるにも、生活するにも。
家賃とかさ、電話代とか、交通費も。最低限+α。
ぼけーっとしてるわけには、いかないのだな。
最近、自分の写真をプリントで見ることが増えた。
選んでるときに、いろいろ見たりして。
何年も前の写真や、最近の写真。いろいろある。いろいろ思う。
自分の過ごした時間が写真に残っているということは、とても素敵なことで、
とてもせつなく、ときに残酷で、とても愛おしい。泣けちゃうくらい。
わたしは写真が好きみたいだ。
人にそう言われると、自信持ってそうですって言えないけど
プリント見て、いいなって思ってうれしくなっちゃうだけで、好きなんだと実感する。
当たり前のこと言ってますか、そうですか。
自分の写真を好きでいられるのは、いいことだと思うんだ。
そして、ふと、塩竈フォトフェスのレビューのときを思い出して気付いたことが。
学生の頃、写真に写ってる人の存在感がない、と先生に言われたことがあって、
自分の中にあるこういう考えのせいかもしれないです、と答えたら
何言ってるか全然わかんない、と言われた。
当時とは写真も変わったと思ってたけど、結局似たような考えに戻ってきたような気がするのだ。
自分が生まれたことも、今この瞬間も、なかったかもしれないことで。
いつ消えてもおかしくないことで。
いろんなことは、ずっと続くわけじゃない。
いつか終わりがきてしまうかもしれないし、人も物事も変わっていくものだ。
写真にすることで永遠を手に入れたような気がしてたけど、違うってやっとわかった。
写真なんかあったら、いつかつらい想いをするかもしれない。
それでも、写真撮るんだって、決めたのだ。
君に会いにいくのだ。
よくわかんないかもしれないけど、そんな感じ。
写真って過去でしかないのに、そのことに本当の意味で気付いたときは、
衝撃だったのよね。
わたしは、撮ったときの自分はいなくならないと思ってたのだ。
写真の中に、じゃなく、自分の中に。変わらないと思ってた。でも違った。
最初は受け止められん、と思ったけど、受け入れた。
それで、全部抱きしめるって思った。
そのせつなさとか、今とか、過去とか、現実とか。
ますますよくわからないか。苦笑
てな感じで、今日も写真を受け取りに行って、また指示出しなど。あと少し。
ほんとうにいいプリントで、うれしい。
そしてオザケンの展覧会最終日へ。
写真と一緒に、いろんな音やナレーションを聴くというもの。
時間がなくなっちゃって、いくつか音を聴けなかったのが残念。自分のバカ!
コンサートでのモノローグもそうだったけど、自分の中にストンと入ってくる言葉があり
それでいいんだよって応援してもらってる気がして、心強かった。
オザケン王子、ありがとう!
今日はいろいろと失敗続きで、へこんでしまったのだけど
おいしいごはんを食べさせていただき、心が和んだ。その後も、失敗したんだけど。。
ああいうさりげないことができる大人が、素敵である。
失敗しないように、気を引き締めよう。