飾らずに君のすべてと混ざり合えそうさ今更ね

わたしはすぐに悪いほうにしか考えないので、
よくないな、と最近思う。

悪いほうに考えるのは、いいほうに期待して、
期待通りにならなかったときに落ち込むからだ。
自己防衛の一つなんだと思う。
でも、悪いほうに考えて一人で落ち込んでたら、結局同じだ。

北川悦吏子の「恋」という詩集で

 素直に喜べばいいのに。
 先回りして悲しんでいる。
 もうあきらめている。

というのがあって、買ったのはたぶん高校生で、
当時も共感したんだろうけど、今は今で、
本当にそうだな、と我ながら思う。

この詩集はとても好きだ。
恋の詩を読むのが面白いのは、
初めて見たときと、何年か後に見たときでは、
感じることが違うところだ。
それなりに経験が増えていたりすると、
実感のこもった 共感 になる。

今日はバイトの前にラボに行って、現像を+1で4本頼んだ。
帰り、ロケアシやりますという貼り紙に気づいて見てみると、
わたしが専門のとき密かに憧れていた先輩だった。
スタジオ辞めたんだー なんて思った。

先輩と言っても話したこともないくらいの人。
わたしは人生で先輩と呼べる人がバイト先の人くらいしかいない。
中学高校と部活をやっていないので、後輩もいない。
バイト先にしかいないな。

喋ったことはなくてもよく見かけたりすると、
わたしは勝手に顔と名前を覚えていたりした。
相手からしたら気持ち悪いけど、そういう記憶力がすごくいいのよ。
同級生も同じ。

だけど他人が自分に対してそう、と言う意識はなくて
知ってるとか言われるとうれしくてたまらなかったものだ。

本を出したお陰で高3の終わりに少し顔が広くなって
(それ以前もデブで有名だったかも・笑)
クラス会で他のクラスの男の子が交じってきたときに
「写真がすごくよかった」というニュアンスのことを言ってくれて
そりゃもううれしかったもんだ。

わたしはそういうときにすぐ、
あー写真やっててよかったな とか思うんだけど
それは今でもよくある(笑)
憧れてた人に近づけたりすると。
まったくもって不純。

いやぁでもね、本当にうれしいものですよ、
写真を通していろんな人に出会えるってことは。
そのためにやってるところもあるし。
人と接するといろんな影響を受けたりするからね。
世界が広がって楽しいものですよ。

なんかまとまらないですけど
明るくがんばります。