生きるということ

もう、人生について、真剣に考えないといけない年なのね。
最近周りが、人生について真剣に考えて、動き始めてたりして。

それで、楽しみにしていた日のことが、ダメになったりして。
正直、けっこう、ショックでね。

でも、どうしようもないことはわかっている。
だって、彼らの人生で、わたしがとやかく言うことではない。
一生懸命考えて決めたことを、わたしが止める権利はないし、
止める理由なんてただその1日だけで、それさえなければ反対なんてしないし。

そんなのはわかってんの、わたしのエゴなのも。
でも、正直、寂しいんだよね。なんかさ。
ほんとに楽しみにしてたから、ダメになるなんて思ってなかったから、
それが急にダメになりましたって、すぐに受け入れられないわけよ。

やだ、なんて言ったところで困らすだけだし、困らせたくないし、
言ったところでその決断は変わらないわけで。
何も言えないじゃない。
わかった、て、ものわかりのいい友だちでいるしか、ないじゃん。

でも、わたしは子どもで、さびしいなぁとか、思ってて、
言えなかった、そういう気持ちを、ずっと引きずってしまいそうなのよ。
それに、気づいてほしかった。
わたしが口にした言葉が本心だなんて、思ってほしくなかったのよ。
だって、さびしいもん。

わたしはどうやら、ある分野になるとあまり人を信用してないとこがあるみたいだし、
(ある分野になると、てのがポイント。普段は、基本信用しまくり)
だからね、けっこうでかい穴だったりするの。

でもどうしようもないことはわかってんの。
ただ、ちょっとショック受けてナーバスになってたから、気を遣ってほしかった。
とか、自己中なことを思ったりした。

そして、みんなを見てて、わたしはこれでいいのかと思ったりする。
写真をずっと撮っていくことはわかってる。
もう、そこは、揺るがないわけ。
ただ、このままずっと、趣味にちょっと毛が生えたくらいの感じでやってくのか、
仕事にしたいのか、ちゃんと、付き合い方を考えなきゃな。
わたしはいろんな言い訳をして、今の自分を正当化してるから、ちゃんと考えよう。

まあでも最終的にはね、わたしは、好きなひとと家族を作りたい。
幼稚園生かよ!?夢が「お嫁さん」て!
いや、でもそれは、ほんと大事なとこだよ。

写真をやりたい、てことがはっきりしてるだけでも、幸せなのかも、とも
思ったりする。