ああ、わたしはこの人たちに救われてるんだ。
そう思った。
わたしの写真を大好きだと言ってくれた人がいた。
メールをくれた人がいた。
その、衝動を与えたのが、自分の撮った写真だなんて。
そんな力があるなんて
今のわたしには自信を持って言えないけど
たまにわたしは、写真を見て泣く。
その力を与えてるのも、自分の撮った写真なわけで。
わたしは、写真を撮る、という行為を、記録だと思っています。
わたしは、今の自分を、いつか忘れてしまうのが嫌だ。
だから、記憶喪失になりたいと思ったことは一度もない。
いいことも嫌なことも忘れたいことも、
全部全部、覚えておきたい。
そのために、思ったことは日記に書くし、ずっと残してる。
日記を消して新しい自分になる、という人もいるかもしれませんが
わたしは、そのすべてを乗り越えて、抱えたままで、
新しい自分になれたら、と思うのです。
忘れるのは嫌だ。全部自分だから。
話はそれましたが、
記録だと思っているから、写真は、そのままを撮りたい。
表現としては、考えていない、と言うこと。
記録として撮った写真を使って
表現としての何か(例えば、写真誌集とか)を創ることはあっても
基本的には、目の前のものを撮る、というスタイル。
わたしに撮られたことのある人はわかると思うけれど
わたしは、写真を撮るとき、90%くらい注文をしません。
たまーに、下向いてー上向いてーあそこに立ってー
とか、そんくらい。
だから、わたしは、ただ目の前のものを記録してるだけで
写真がいいと言われても、
わたしは写しているだけだから、別にすごくはない。
目の前の人がいい表情をしてくれただけで
わたしはそれを写しているだけで、すごくないんだよ。
最近ずっと、そう思ってました。
別に、すごくなりたいわけじゃないけど
でもそういうことを、ずっと考えてた気がする。
でも、少ないかもしれないけど、
わたしの写真を好きだと言ってくれる人が実際にいるわけで。
また、頑張ってみようかな、と思えた。
かもしれない。
・・・だんだん、何が言いたいのか解らなくなってきた。
だからもう、寝ます。遅いし。
明日も誰かを愛せますように。