頭ではなく、心なのです

思えば、わたしが写真で初めてお金をもらったのは、
19の冬だった。

書道家だった高校時代の副担任の先生が、
毎年ある展示会のときのプロフィール用?写真を撮ってほしいと
頼んできたのだ。
海鴎の6×6を買ったばかりで、当時学生だったので
フィルム代&現像代、印画紙代(プリントは自分)しかかからず
先生がくださった謝礼(まあ、ギャラですよね)には、
恐縮してしまったのを覚えてる。
(先生的には、写真館に頼むと高いから、、とのことだったけど)

しかも、先生が額に入れた書を、くださった。
「写真は心を写す」
今、実家に飾ってある。
わたしの撮った家族の写真と一緒に並んでる。

今日、撮影の仕事だった。
誰かに出来上がりを期待されること、
それなりのクオリティを求められることには、
正直、かなりのプレッシャーを感じる。

わたしはいつも、気分が乗ったら撮っているから。
撮らなくてもいいし、撮りたければ撮るし
どういうカットが必要だとか、そういうのもないし
ただ、撮りたい写真を撮るために、ときめいたときに
おしゃべりしながら、呼吸するみたいに、シャッターを押すだけだ。

そんな写真をいい、と言ってくださって
撮ってほしいと頼まれるわけで
あーゆう写真を、望まれてるのかなって思ってさ
あーゆう写真を、撮るように心がけてしまうんだけど

今日、撮影が終わって
下北に戻って現像とか終わらせて
家に帰る途中、南に言われたことを思い出した。

「どう撮りたいか、じゃなくて、誰を撮りたいか、でしょ?」

あー、そうだ、と。
わたしは、こんな感じ、とか思いながら撮ってた。
それじゃー、だめなんだ。

まあ、相手が気に入ってくれればべつにいいんだろうけど
恋を、したいな、と思うわけです。
目の前のその人に。

今だ、と思った、その衝動を
大切にしないとなぁって思う。

いやしかし
公園、て場所で余計なものが写り込まないようにするのは
なかなか大変ですね。

でもやっぱり、緑と、あの光。
きれい。
そして、やっぱり女の子は笑顔が一番可愛い。